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代表プロフィール

もう40歳代後半にさしかかってきました。
すっかりおっさんです。

20歳代後半から補修屋という仕事に就き、これまで試行錯誤を繰り返し今までやってきました。

少し時系列に振り返ってみたいと思います。



趣味:最低週1、2回の10キロ(四捨五入笑)のジョギング6年くらい
   現場まで通勤車内でのオンライン英会話4年目
   一向に上達しないゴルフ6年くらい


好きなテレビ:カンブリア宮殿、プロフェッショナル、家ついて行ってイイですか、月曜夜ふかし、酒のつまみ話、女が吠える夜

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若いころは、普通に大学を卒業し就職しました。
(多額の奨学金を借りて卒業した苦学生でした 笑)
同期が20名くらいいて、その中で内定の数が一番多かったのを今でも覚えています。
その自信がこのあと「あだ」となってしまいます。

確か2年も経たないくらいで退職してしまいました。
え?俺の人生もう終わってもうたやん、とすごく落胆したというか、人生の壁にぶち当たったのを
覚えています。

思い返せば、若気の至り。
経験不足で何もできないのに、「こんなもんじゃない」ともがいて勘違いしていたのを覚えています。

その後、地元の松下電器(現パナソニック)でふらふらと工員アルバイトをやっていました。
その時すでに同期はもう何年か働いていたので、どんどん自分との差が広がっていくと焦っていたように思います。

そんな時に、前職の同期と飲みにいってふらふら酔っ払いながら道を歩いていたときに、
ちょっとキャリアウーマンらしき女性が前から歩いてきました。
酔っぱらった勢いで、「ちょっと声かけてくるわ!」と声をかけたのが中国人の方でした。
日本のアパレル商社でバリバリ働く、日本語ペラペラの7歳くらい年上のお姉さんでした。
外見も良く、当時の私からすると中身もすごい大人で、その時に生まれて初めて外国語に興味が湧きました。

短いお付き合いでしたが、中国人特有?のハングリー精神や、自分の考えの甘さを指摘してくれたり、
家族を大切にするなど、私がすっかり忘れかけていた考えをを教えてくれました。
その後のわたしの人生に、少なからず影響を与えてくれた方でした。

それから少しして、アルバイトで貯めたお金で、英語を勉強しようとカナダのトロントへ旅立ちました。
当時25歳くらいだったでしょうか、俗にいう海外逃亡組みです笑。

英語もゼロからスタートなので、日本にあるECCにような、単純に英語を勉強する語学学校に通いました。

その学校に通っていたのは、3か月ほどでしたが、ローカルの人たちとつながりを持とうと、
試行錯誤しながら自分で考えて行動できたのは、いい経験になったと思います。

ホストファーザーの配管工の仕事を手伝って、現地の若い職人達と一緒に働かせてもらったり、
フレンチレストランで皿洗いなどして、小銭稼ぎをしていました。
その語学学校は本当に小さく、アットホームだったので、3歳くらい年上の校長と仲良くなり、仕事を与えてくれたりもしました。
日曜には、サンデーチャーチといって、そこにいるクリスチャンの大学生たちと知り合い、夏に一緒にキャンプにいったり、
レジュメを作って公立小学校の職員室にいきなり行ってアシスタントをさせてもらったり・・・。今考えると、拙い英語でよく頑張っていたと思います。
あ〜、あのころは本当に自由で楽しかったです。

英語に関しては、当時基礎の基礎しか習得できませんでしたが、コロナ渦で20年ぶりに再度英語熱が再燃。
今では一生の趣味にしようと通勤車内で毎日オンライン英会話を1,2時間楽しんでいます。

結局1年ほど滞在し、そこで妻と出会い(もちろん純ジャパ)、帰国後少しして結婚。
娘を授かりました。

どちらかというと、妻より私の方が教育熱心というか、躾にはうるさかったかもしれません。

小さいころから誕生日プレゼントなどは、知育玩具ばかり買っていた思い出があります。

帰国後、大手機械メーカーに就職したり、小さい商社に入ったり、英語を活かして仕事をしたいと頑張りましたが、
結局どこにいっても会社務めは長続きしませんでした。
わたしという人間はサラリーマンが合わないというか、できない人なのでしょう苦笑。

結婚もして、小さい子供もいた頃、もう30歳手前になっていました。
職人になってゼロから頑張ってみよう、と補修屋という現在の仕事につきました。
最後のチャンスでした。

これで食っていくしかないと、必死に頑張りました。
もうそこから軌道修正はできません。

職人という仕事は、やればやるほど日に日に技術が身に付き、17時には現場が終わる。

帰りのコンビニでビールやお菓子を買い、仲間とあほな話で盛り上がる。遅くても19時には帰宅。そして家族とごはん。

嫌な上司もいなく、無駄な残業も一切なし。いつも気の合う仲間と笑いながら楽しく帰る。
人生ではじめて、この仕事に就いてよかったなと思えた時期だったと思います。

もちろんその頃はアルバイトだったので、日給8,000円で食い繋いでいました。私はおよそ30歳。同じ19歳のバイト友達と変わりません。

そこで少し経験を積み、自分で小さな会社を作ったのが、いまから約20年前となります。

あれから20年近くが経ちました。

開業なんて簡単。役所に書類をだすだけ。
ただ、当時起業して5年以内の廃業率が80%という記事をよみ、絶対にその20%に入ってやると必死に
なっていた記憶があります(だってこれしか生きる道がないですから笑)。

スタッフを少しずつ雇い、仕事も増やして、がむしゃらに働く。
まるでそれまでの人生の遅れを取り戻すのに必死だったように思います。

たまにみんなで焼き肉屋さんに行ったり、忘年会に河豚屋さんとかにも行きました。
まだ当時娘も小学生で、女性スタッフの子達が優しく接してくれて、子供と一緒に笑ってくれているのが、
たまらなく嬉しく、かなり充実していました。

スタッフをはじめ、いろいろな方との出会いもあり、苦しくも楽しい30歳代でした。
感謝でいっぱいです。

ただ、仕事はいい時もあれば、悪い時もあります。
現場がないと収入がゼロ、という過酷な自営業の世界。
一度開業すれば、すべて自己責任。

幸い、20代にいろんな会社でダメサラリーマンとしてでも少しずつ経験を積めたこともあり、
会社的な書類ややりとりで苦労はあまりありませんでした。

徐々にハウスメーカーさんや地場の工務店さん、ゼネコンさんやリフォーム会社さんなど企業さんとの
お付き合いもはじまり、有難いことに今では個人様からのご依頼も多く頂くようになりました。

米粒ひとつくらいの傷を必死に補修することからスタートしたリペアという仕事。
まだまだですが、少しずつできることも増えてきました。

自分では、納得のいかない仕上がりだなと思うこともありますが、
ほぼ99%のお客様には感謝されるありがたい仕事。

お客様からお礼の口コミをいただけた時は、嬉しくて本当にガッツポーズしてしまいます。

これからも、お客様にはもちろん家族にも感謝しつつ、努力し続けていきたいと思います。

もし、この記事を読まれた方がいらっしゃいましたら、お声がけくださいね。

お客様と現場でいろんなお話をできることを楽しみにしています。

どうぞ宜しくお願い致します。



ケーズ 職人兼代表 中井

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